放下鉾の歴史




祇園祭について


毎年七月一日から七月三十一日まで一ヶ月間行われる八坂神社のお祭りでございます。その始まりは、約1100年前の清和天皇貞観十一年(869)に疫病が蔓延したことに端を発します。疫病の封じるため、全国の国の数と同じ六十六本の矛を建て、神輿を神泉苑に送って八坂神社の牛頭天王に祈願した「祇園御霊会」が始まりとされております。一般的によく知られた山鉾が京都市内を巡る山鉾巡行は、七月十七日の前祭、七月二十四日の後祭でございます。

祇園祭について
放下鉾について
祇園祭について

放下鉾について


真木鉾頭の直下に位置する天王座に御神体として放下僧を祀っている事が放下鉾の名前の由来となっております。放下僧は御神体であるため、鉾建てを行う直前に天王座に祀られますが、その際も殆どお目にかかれないほど丁重に扱われます。

鉾の特徴を表す鉾頭は、日、月、星の三光が重なった形をしており、光茫を二本の棒で表しています。また、その型が洲浜に似ていることから「すはま鉾」とも呼ばれます。放下鉾は、鉾がほとんど現在の形に準ずるものであったと言われる応仁の乱以前から存在し、その歴史を今も引き継いでおります。

江戸時代は船鉾以外の鉾稚児は全て生稚児でしたが、天保十年から徐々に各鉾が稚児人形にかわっていき、放下鉾も昭和四年から稚児人形にかわっております。この稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より「三光丸」と命名され、山鉾巡行の際に稚児同様に優美な稚児舞が出来るように作られております。

放下鉾は鉾のみならず、その町屋と鉾道具一式を保管してある蔵が、補修を定期的に行い古い時代の状態で残されており、そちらも見どころの一つとなっております。

放下鉾について
放下鉾について
放下鉾について

囃子方について


祇園囃子は、鉦、笛、太鼓の三種類の楽器で奏でられ、祇園祭の一部を彩るものとして古来より脈々と受け継がれております。しかしながら、祇園祭についての資料は、文献、絵画も含めて比較的その史料がございますが、祇園囃子の史料は確かなものが殆ど無く、いつの時期に、どのような事が発端で始まったか等、確実なことが分かっておりません。鉾、曳山で演奏され、その曲調、曲目は各山鉾によって違い、放下鉾囃子方も含めて各山鉾にて現在に至るまで継承されております。

祇園囃子自身も勿論ですが、七月一日の切符入りの日から行われる行事、しきたり等についても各山鉾で同様に継承されております。どの山鉾も基本的には囃子方として入門した際に鉦方から始めます。概ね成人した後、笛方または太鼓方を選択して、以後、永年同じ楽器を修練する鉾もあれば、笛方を経て太鼓方になる等、鉦方以降については山鉾によって多少異なっているようでございます。

囃子方について
囃子方について
囃子方について